コロナ後遺症がいちばん酷かった時、布団の中で寝ながら声を出すのもきつかった。
返事をしてる間にも酸欠も悪化し、ますますきつくなる。
昼間誰もいない時間は、特に怖くて怖くてたまらなかった。
一人の時ほど、タヒぬんじゃないかと不安感がつのりおかしくなりそうだった。
何度もこのままもう駄目かなと頭によぎった。
この時にした事まずは・・・
自分の気持ちの整理
1番心残りで心配なのは、子供達の事だった。
でも自分の中で、タヒがよぎってる事は子供には伝えずに、いつ入院になるか分からないと伝えた。
あと金銭的にも余裕がなくなるかもしれないと。
その時は、祖父母のとこに行くか、それとも通信高校で働きながら姉妹で暮らすかとかの選択肢も伝えた。
入院したら、親に甘えず戻るまで自分達で生活をしなければならなく、もう少し自立しなければならないのも伝えた。
ネットスーパーのアプリも子供の携帯からも操作可能にしたり。
酷かもしれないけど何かあった時に、教えれる事は最低限伝えようと思った。
その年齢や性格にもよると思うけど、うちはぎりぎり姉妹で自立出来る年齢でもあった。
最初は子供達も泣いてたけど、落ち着いてからは話を聞いてくれて、姉妹で暮らす選択をし他の事も真剣に覚えてくれた。
正直、言った後は家族でメンタルぐちゃぐちゃになって号泣した。
そうなるのも分かっててかなりイチカバチの試練だった。
でも体もメンタルも家族もその試練をなんとか乗り越えた。
その後は家族にも、私が本当に体調がやばいのが前より伝わった感じがした。
それからは入院するより、例え寝てるだけでも家で療養できてるだけで家族で満足する様に変わったかもしれない。
*あくまで私がした行動で必ずしもいい結果が出るとも限らないです。
相手によってはリスクもともなうと思います。
次に気がかりだったのは、家がどんどん汚くなってきた事。
皆、手伝いはしてくれたけど私一人抜けた分は大きかった。
でも家族がいない間、体調悪くなったら緊急で誰か呼ぶかもしれない。
でも汚くて呼ぶのも我慢する状況だった。
その事も伝えたので娘がクタクタになるほど、掃除してくれた。
そして3つ目、救急車で運ばれた時の為の入院準備。
服も体調悪いだけに、楽だけど汚れてない服とかいろいろ持ち物も気になるけど、寝たきりで準備出来ずにいて気がかりだった。
でもこれをきに口頭で伝えて、一つ一つ娘にバッグに入れてもらった。
3つの気掛かりが解消され、その後焦りみたいな物が消えさり、前より少し気持ちはリラックスして療養出来るようになった。
今まで甘える事は少なかったけどちょっとだけ人を頼った
母親とは私の中では不仲で、ずっと頼る事も少なかった。
そしていつも「大丈夫!」が口ぐせになっていた私。
でも娘達がいない誰もいない家に昼間いると、不安感が強くて怖くて押しつぶされそうだった。
ネットでメンタルを調べると「時には人に甘えてみよう」という言葉をたまに目にする。
「人に迷惑はかけない」を教訓にしてたけど、今回は甘えてみようと思った。
両親にもずっと体調不良は言ってなかったけど電話で伝えて誰もいない日だけ来てもらう事にした。
話すのは体調もメンタルもきつかったので、寝てない時も寝たふりをした。
時々、母親独特のヒソヒソ話が聞こえたり、寝込んでるのに家事への駄目だし、少し不安感やストレスも芽生えたけど、一人でいるよりは子供の頃から苦手なあのヒソヒソ話や愚痴もましだった。
でも甘えた事で前より少しゆるせるようになったかもしれない。
少しだけ不安感がとれてきたので、また両親には来てもらうのは遠慮してもらった。
ずっと一緒だと疲れるのもあるし言葉で不安にさせられる時もある。
その時々の距離感も必要だった。
そして子供がいる時で、不安感が強い時は少しだけ手を握ってもらったりもした。
時には童心にかえり、娘に貰ったぬいぐるみを抱っこして寝た。
※但し、甘える相手も見極めた方が良いです。
介護だけで家族のメンタルもいっぱいいっぱいだったりします。
自分に優しくした
ここ最近大人になってからは、ダラダラしてると自分に罪悪感があり頑張らないとと休みながら葛藤する事も多かった。
だけどせっかくなので今まで頑張った分と思って、休む事を受け入れる様にした。
大人になってから数十年頑張った分の長い長い夏休みと思う事にした。
お金が減るのはかなり気がかりだけど。
子供の頃何回も見たのに最終回は見た事がなかったアニメを見たり、アニマル系の動画を目が疲れてない時少しずつ観た。
目が疲れて不安感が強過ぎる時は、若い時好きだった曲やリラックス出来る曲を聞いた。
Expressions (通常盤)竹内まりや
私の中では、竹内まりやさんの曲がずっしり心にしみて、きつい程に癒やされました。
少しだけ布団の中で元気な時は、ゲームアプリ。
でも疲れるので短時間。
お気に入りのユーチューブは、癒しをもらったり、笑いをもらったり、元気をもらったり、感動してみたり。
観るのが辛い時は、音で楽しめるお笑いを聞いたり、曲を聴いたりしました。
とにかくお金は元気になってから稼ぐのを頑張ろうと思うようにして、まず治す事に専念しました。
研究者、科学、先生を信じた。
お金はどんどん減って凄く不安だったけど、1日1日生き延びる事を目標にした。
いつの時代も見えない所で研究してる人達、科学者、先生達がいる事を信じた。
そして見つけた主治医を信じた。
とにかくいつか治療法や薬が出来ると信じ、その日まで生きていこうと思った。
情報収集をしていろいろ試した。
とにかく本やSNS、主治医や他の先生など、余裕がある時は調べて、起きてる時に実践。
私の場合倦怠感が強くて睡眠時間もかなり多く、薬やサプリ、試したい療法をしてると疲れるのも早く時間が足りなく感じる時もあった。
※けっして無理はしないで下さい。
ストレスは極力さけた
自分でもちょっとしたストレスにも耐えられないのが分かった。
人と話すのも辛いので、少しでもストレスになりそうな人には自分からはコンタクトはとらなかった。
コロナ後遺症と伝えたのは、ごく一部の人だけ。
話したのは攻撃性のない優しい人だけ。
ちょっとした言葉が傷付きそうだったし、いろんな人と話す余裕もなかった。
この時あったら良かったなと思ったのは、文字の書いたうちわ。
家族の話を聞いてるのは凄く嬉しくて良いけど、返事をするのはすぐ疲れてしまった。
だから片面「うん」反対面「有難う」などよく使う言葉、伝えたい言葉など書いてうちわを見せたら楽だと思った。
いがいと使えるのが携帯のLINE.
声が出ない時、疲れない程度に目の前にいる人にLINEを使って会話するのも時には良かった。
小さい子がいる方は、パペットのぬいぐるみが体調悪い時、結構コミュニケーションにおススメです。
目を閉じて話す事も可能なので。
自分が話すと疲れるので、質問等してなるべく子供に話させる。
この作戦は、2人目妊娠中で寝たきりの時に使った作戦です。
これでも疲れたけど、普通に話すよりは効果的でした。
ハンドパペット
返事をしてる間にも酸欠も悪化し、ますますきつくなる。
昼間誰もいない時間は、特に怖くて怖くてたまらなかった。
一人の時ほど、タヒぬんじゃないかと不安感がつのりおかしくなりそうだった。
何度もこのままもう駄目かなと頭によぎった。
この時にした事まずは・・・
自分の気持ちの整理
1番心残りで心配なのは、子供達の事だった。
でも自分の中で、タヒがよぎってる事は子供には伝えずに、いつ入院になるか分からないと伝えた。
あと金銭的にも余裕がなくなるかもしれないと。
その時は、祖父母のとこに行くか、それとも通信高校で働きながら姉妹で暮らすかとかの選択肢も伝えた。
入院したら、親に甘えず戻るまで自分達で生活をしなければならなく、もう少し自立しなければならないのも伝えた。
ネットスーパーのアプリも子供の携帯からも操作可能にしたり。
酷かもしれないけど何かあった時に、教えれる事は最低限伝えようと思った。
その年齢や性格にもよると思うけど、うちはぎりぎり姉妹で自立出来る年齢でもあった。
最初は子供達も泣いてたけど、落ち着いてからは話を聞いてくれて、姉妹で暮らす選択をし他の事も真剣に覚えてくれた。
正直、言った後は家族でメンタルぐちゃぐちゃになって号泣した。
そうなるのも分かっててかなりイチカバチの試練だった。
でも体もメンタルも家族もその試練をなんとか乗り越えた。
その後は家族にも、私が本当に体調がやばいのが前より伝わった感じがした。
それからは入院するより、例え寝てるだけでも家で療養できてるだけで家族で満足する様に変わったかもしれない。
*あくまで私がした行動で必ずしもいい結果が出るとも限らないです。
相手によってはリスクもともなうと思います。
次に気がかりだったのは、家がどんどん汚くなってきた事。
皆、手伝いはしてくれたけど私一人抜けた分は大きかった。
でも家族がいない間、体調悪くなったら緊急で誰か呼ぶかもしれない。
でも汚くて呼ぶのも我慢する状況だった。
その事も伝えたので娘がクタクタになるほど、掃除してくれた。
そして3つ目、救急車で運ばれた時の為の入院準備。
服も体調悪いだけに、楽だけど汚れてない服とかいろいろ持ち物も気になるけど、寝たきりで準備出来ずにいて気がかりだった。
でもこれをきに口頭で伝えて、一つ一つ娘にバッグに入れてもらった。
3つの気掛かりが解消され、その後焦りみたいな物が消えさり、前より少し気持ちはリラックスして療養出来るようになった。
今まで甘える事は少なかったけどちょっとだけ人を頼った
母親とは私の中では不仲で、ずっと頼る事も少なかった。
そしていつも「大丈夫!」が口ぐせになっていた私。
でも娘達がいない誰もいない家に昼間いると、不安感が強くて怖くて押しつぶされそうだった。
ネットでメンタルを調べると「時には人に甘えてみよう」という言葉をたまに目にする。
「人に迷惑はかけない」を教訓にしてたけど、今回は甘えてみようと思った。
両親にもずっと体調不良は言ってなかったけど電話で伝えて誰もいない日だけ来てもらう事にした。
話すのは体調もメンタルもきつかったので、寝てない時も寝たふりをした。
時々、母親独特のヒソヒソ話が聞こえたり、寝込んでるのに家事への駄目だし、少し不安感やストレスも芽生えたけど、一人でいるよりは子供の頃から苦手なあのヒソヒソ話や愚痴もましだった。
でも甘えた事で前より少しゆるせるようになったかもしれない。
少しだけ不安感がとれてきたので、また両親には来てもらうのは遠慮してもらった。
ずっと一緒だと疲れるのもあるし言葉で不安にさせられる時もある。
その時々の距離感も必要だった。
そして子供がいる時で、不安感が強い時は少しだけ手を握ってもらったりもした。
時には童心にかえり、娘に貰ったぬいぐるみを抱っこして寝た。
※但し、甘える相手も見極めた方が良いです。
介護だけで家族のメンタルもいっぱいいっぱいだったりします。
自分に優しくした
ここ最近大人になってからは、ダラダラしてると自分に罪悪感があり頑張らないとと休みながら葛藤する事も多かった。
だけどせっかくなので今まで頑張った分と思って、休む事を受け入れる様にした。
大人になってから数十年頑張った分の長い長い夏休みと思う事にした。
お金が減るのはかなり気がかりだけど。
子供の頃何回も見たのに最終回は見た事がなかったアニメを見たり、アニマル系の動画を目が疲れてない時少しずつ観た。
目が疲れて不安感が強過ぎる時は、若い時好きだった曲やリラックス出来る曲を聞いた。
Expressions (通常盤)竹内まりや
私の中では、竹内まりやさんの曲がずっしり心にしみて、きつい程に癒やされました。
少しだけ布団の中で元気な時は、ゲームアプリ。
でも疲れるので短時間。
お気に入りのユーチューブは、癒しをもらったり、笑いをもらったり、元気をもらったり、感動してみたり。
観るのが辛い時は、音で楽しめるお笑いを聞いたり、曲を聴いたりしました。
とにかくお金は元気になってから稼ぐのを頑張ろうと思うようにして、まず治す事に専念しました。
研究者、科学、先生を信じた。
お金はどんどん減って凄く不安だったけど、1日1日生き延びる事を目標にした。
いつの時代も見えない所で研究してる人達、科学者、先生達がいる事を信じた。
そして見つけた主治医を信じた。
とにかくいつか治療法や薬が出来ると信じ、その日まで生きていこうと思った。
情報収集をしていろいろ試した。
とにかく本やSNS、主治医や他の先生など、余裕がある時は調べて、起きてる時に実践。
私の場合倦怠感が強くて睡眠時間もかなり多く、薬やサプリ、試したい療法をしてると疲れるのも早く時間が足りなく感じる時もあった。
※けっして無理はしないで下さい。
ストレスは極力さけた
自分でもちょっとしたストレスにも耐えられないのが分かった。
人と話すのも辛いので、少しでもストレスになりそうな人には自分からはコンタクトはとらなかった。
コロナ後遺症と伝えたのは、ごく一部の人だけ。
話したのは攻撃性のない優しい人だけ。
ちょっとした言葉が傷付きそうだったし、いろんな人と話す余裕もなかった。
この時あったら良かったなと思ったのは、文字の書いたうちわ。
家族の話を聞いてるのは凄く嬉しくて良いけど、返事をするのはすぐ疲れてしまった。
だから片面「うん」反対面「有難う」などよく使う言葉、伝えたい言葉など書いてうちわを見せたら楽だと思った。
いがいと使えるのが携帯のLINE.
声が出ない時、疲れない程度に目の前にいる人にLINEを使って会話するのも時には良かった。
小さい子がいる方は、パペットのぬいぐるみが体調悪い時、結構コミュニケーションにおススメです。
目を閉じて話す事も可能なので。
自分が話すと疲れるので、質問等してなるべく子供に話させる。
この作戦は、2人目妊娠中で寝たきりの時に使った作戦です。
これでも疲れたけど、普通に話すよりは効果的でした。
ハンドパペット